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僕は世界史や日本史が不得意でした。なんであんな年表みたいなもの覚えるのだろうって。メンドウクサイから教科書を読むのも嫌で、テスト前も年表だけ見て間に合わせようとしていましいました。
でも、これが間違いだったと今ではわかります。年表だけだと余計に覚えにくい。歴史が好きな人、歴史が得意な人、って、歴史に『物語性』を見つけ出すのが得意な人だったんだ。と言う事です。事実の羅列は覚えるのが困難でも、『物語』になっていると、記憶しやすいんです。捉えやすい。すーっと入ってきます。『物語』と言う形式は、人間の頭に非常に相性が良い。認知し易いし、記憶しやすい。
記憶とは、過去を整理して頭にしまっておくやり方の事ですね。
認知とは、現在起こっている事を、色々な事と関連づけて、解釈を加えて捉えるやり方の事です。で、ここで言いたい事は、さきほど言った事の繰り返しになりますが、、、、
どうも人間は、現在を捉えるやり方も、過去の事を記憶にとどめるやり方も、『物語』の形式を使ってやっていると言う事です。全てがそうだとは言いませんが、かなりの割合でそうだと言えそうです。少なくとも、考え事をしたり、大事な決断をしたり、記憶を参照して、今の問題に対処しようとしたり、する時は、特にそうです。 |
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頭で何か考える時は、長短色々混ぜた、複数の『物語』が参照され、決断も予定も、『物語』の形式で頭に浮かんできます。意識していてもしていなくても。
信じられますか?あなたの中には、好むと好まざるとに関わらず、自分の『物語』たちがしまわれて、息づいていると言う事を。
逆に、物語化されていない、記憶と言うのは、整理されていない記憶の事です。断片的だったり、感覚的だったり、直接的だったり。素材としてある記憶は、そのままでは何かに用いる事はできません。
実は、脳には、物語化されていない、膨大な記憶が残っていると言う事が知られています。ただし、それは普通思い出すことができない。何か創造的な事をしている時に素材として、ふっと頭によみがえる事はあります。
有名なのは、脳外科医ペンフィールドの実験で、局所麻酔で手術的に脳を開けた患者さんの色々な場所を電極で刺激していったのですが、、場所によって、ある日の出来事が、まるで映画を再生する様に、音や視覚、臭い、手触りまで含めて再生されたと報告されています。ずいぶん乱暴な実験ですが、そうした史実があると言う事ですね。
でも、普通、そうした状態で記憶が蘇る事はまずありません。(プルーストの『失われた時を求めて』の紅茶とマドレーヌのエピソードみたいに、香りやその他の感覚がこうした記憶再生の引き金になる事はまれにありますが)それから、とってもショックな出来事で、それが充分消化されない時、未処理な記憶が断片的に、何度も何度も蘇って来たりします。
脳が、記憶の処理=物語化を求めているとも言えそうです。典型的なのはPTSDのフラッシュバックなんかそうです。自分の都合なんかお構いなしに、激しい感情を伴った映像、音が頭の中で自動再生されて、それに圧倒され、打ちのめされてしまうと言う事態。これは極端な例ですが。 |