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古くなってゆくと、次第に、自分の中で物語化されて行きます。ただ、それがどんな物語になって行くのかで、その人のその後の生き方に大きく影響します。記憶や認識を『物語』として処理してゆくのが、人の脳には自然な事らしい。
とにかく、人が自分はどういう人間か(そう思っていると言う意味です)、自分自身の事を捉えているやり方は、『物語形式』なんです。自分の経験を思い出したり、人に話したりするやり方も、『物語』の形式を使います。自分を取り巻く世界(世間)が、どんな風なのか認識するやり方も、『物語』なんです。
人は自分の中にたくさんの『物語』をしまっています。新しい出来事に出会った時に、それを解釈するのに、自分の中の『物語』を参照しているのは間違いありません。思考する時の基本的要素として、短い、細分化された『物語』を用いています。
中には、生まれてくる前から、『物語』の基本的骨格を脳の中に、人間は持って生まれてくると考える学者も居ます。有名な、スイスの精神科医ユング(カール・グスタフ・ユング)なんかがそうです。人類共通の無意識に潜む『物語』があると。
一度もアジアに行ったことも、そこの文化や歴史を勉強した事も無い、妄想を持った患者さんが古代ミトラ教神話そっくりの妄想をユングに話したんですね。それをきっかけにユングは世界中の神話を収集し始めます。そこから、ユングは集合的無意識とか、archetype(アーキタイプ=元型)、無意識に潜む神話、等の存在を確信する様になって行くのです。
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こうした事は、別の角度から、最新の脳科学からも、似たような事が言われていて、、
人は、基本的な極く小さい認識の部品(パターン)をあらかじめ持って生まれてきていて、現実を認識する時には膨大な部品が存在する海の中から、適合するものだけ拾い上げて、現実世界に当てはめる(投射)。それがつまり認識ではないかと言う仮説が出てきています。 部品の中では、比較的大きいものは、言語化されて『物語』(元型など)として存在し、言語化される以前の、もっと原始的な部品が『象徴』。象徴と言うのはシンボルですね。原始的と言う事は、存在するレベルが深く、強力でコントロールしにくい、と言う事でもあります。例えば、ここケンブリッジの森で使われている『十字架』。これなんかは強烈な象徴の一つです。意味は多重で一つに決められませんが、何らかのメッセージを読み取ろうと思えば、できない事は無い。
今、ダビンチコードが映画になっていますが、映画の中にもたくさんの『象徴』が出てきます。女性の象徴、男性の象徴。原作を是非読まれてから映画をご覧になって見てください。3倍楽しめます。
つまり、現代は、ユングの様な『無意識』領域の探求者が主張して来た事を脳科学が別な側面から証明しようとしてる時代の様です。こんなに科学と、ユングが接近した時代は無いでしょう。不思議な符号と言えるかもしれないですね。この時代に生まれてきたことが。 |