桜木町クリニック
ワークショップ
物語に閉じこめられる、物語が硬直する
 『物語』はいつでも作り替えられ、語り直される自由さを保っている事、それが、生き生きとした生命感、躍動感をその人にもたらします。『物語』が硬直して、変化するチャンスを奪われると、途端に生命力を失い、その人の心も病気の方へ傾いてゆきます。
 それから、人は、自分にとって不本意な物語を押しつけられると、拒否反応が起こります。そしてその物語が複数の人々によって支持され、交換を拒否されて、不本意な物語から出られなくなると、やはり生き生きとした心を失います。毎日がつまらなくなって、生きる気力が失せてしまう。これを『物語に閉じこめられる』と言います。
 ちなみにメディア(本、雑誌、週刊誌、テレビ、など)は、強力に『物語』を作りだし、人の心の中に注入する力があります。ハウツー本も含めて、ファッション、モノの考え方、ブランドなどの価値観、それらも注意深く見ると、誰かが作った物語です。そして、知らない間に、結構自分がその物語に支配されています。メディアが作り出す物語は、双方向性では無くて、一方的であって、浸透力が強いと言うのが問題だと思います。受け取られた物語は視聴者の間で交換するしかないのですが、その際、強力な『象徴』が楔の様に心に打ち込まれていますから、その交換も特定の方向へ誘導されがちです。ブランドイメージとブランドマークは効果的に使われています。つまり、購買意欲をそそられるような『物語』へ閉じこめられがちなんです。
 何度読んでも、その度に違う物語の様に読める本、それは本に書かれた物語としては最高レベルの生命力を持っている、と言えそうです。そんな本はとても少ないですが、『ゲド戦記』はそんな希有な本の一つです。僕も今までに何回か読み直しましたが、その度に違う。数年ごとに読むとそれがよく分かります。アニメ化した、ジブリの宮崎五朗監督も、インタビューで、年齢によって全く違う物語として受け取れる、響き方が違う。それは時代性によっても異なってくる。いつまでも新しさを失わず、同時に古い起源をしっかりと持っている。と言ってます。これはその物語に対する最高の評価と讃辞だと言っても良いでしょう。
人間なんて
 さて、この様に、認識全般に『物語』と言う形式を使っている人間は、便利な道具(ツール)として『物語』を使っていますが、、、逆に、この『物語』に縛られてしまうと言う事が起こります。
 人間は社会的動物です。だから社会の中で暮らすのに困らない様に心を発達させて来ました。そこにはある程度の『安定性』が無いと、都合が悪いんです。会社が日替わりで方針が変わったり、取引相手が前日と違う事を言い出したりすると、困りますでしょう?
 もっと個人的なレベルの話でも、こういう『安定性』が無いと、つきあうのに困ってしまう。だから、自分はこう言う人間だ、とか、世界とはこういうモノだ、と言うような基本的認識=『基本的物語』は、そうそう変わらないようにできているんです。
 ですが、このどのくらい変えにくいか、と言う性質には著しい個人差があります。時々、生きるのに不都合な物語をこさえてしまって、それを変えることができずに、とっても苦しい思いをしてしまう事態が起こります。さきほどの、語りが変わる前の教師の彼女なんかそうだったと言えるでしょうね。身近にも思い当たる人は居ませんか? ほら、一人か二人は思い浮かべる事ができるのではないですか? 、、、、、、ま、それはともかく。病的なまでに『物語』が硬直して、現実と適合せず、他人が了解する事さえ困難なレベルになると、それは『妄想』と呼ばれます。そこまで行かなくても、物語が硬直しすぎると健康を失いやすいと言う事は、長年の臨床経験でも言えると確信しています。
物語の交換
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