ワークショップ
物語の交換
 事実と物語は別のものです。事実そのものには、物語は存在しません。そこに意味を与え、解釈をし、記憶にとどめる、それは、人間がやっている事です。すなわち、物語性を与えているのは人間であり、毎日毎日、人間の心の作業として、自然に呼吸する様にやっている事なのです。呼吸すると言う意味は、物語をはき出すだけでなく、色々な物語が取り入れられるからです。人から話を聞いたり、本を読んだり、映画を見たり、、人や人の作り出したモノとふれ合う時は特にそうです。
 物語は聞くだけでは書き換えられません。物語は、語られ、そしてお互い物語の交換がなされて初めて書き換えられるチャンスが生まれます。それは能動的な参加、『自分語り』と言う作業、そしてそれを聞いてもらった人からの物語を聞いて行く作業、そして再び、それについて思いついた自分の物語を語る、そんな風に2者間で、あるいはもっと多者間で物語を交換して行く作業が必要なのです。
 そして、物語の交換が終わった後で、それがうまくいったかどうかは、両者にそれぞれ変化が起きている事かどうかが目安です。一方的にどちらかに変化が起きている時、それは変化に見えて、基本的物語は全く変わっていない、と言う事が殆どです。
 うまく物語の交換が行われた時には、語る方も聞く方も(厳密には両者とも語っていますから切り分けられませんが)双方向的に変化が起きているのです。その様な交換でないと、あまり意味が無い。
 僕は以前、『自分語りの家族の会』と言う会を、静岡大学のある先生と一緒にやっていました。勿論、当院のスタッフも参加していました。ここでの経験が自分にとって『物語の交換』を考える上で決定的な出来事でした。
 家族内でのコミュニケーションがある悪循環に陥っていて、患者さんも家族もお互い精神衛生が最悪になっている、そんな家族があったとします。今まで、どんなに医者が看護師が、『指導』しても、そのコミュニケーションは全く変化しない、そんな手強いケースがかなり集まって居ました。
 しかし、家族同士が『物語の交換』を始め、会を重ねるごとに、とっても変化しそうにないと思っていた家族が変わっていたんです。そして気がついたら、私達スタッフも多大な影響を受けていました。
 医療スタッフが、家族より物知りで知恵があって、いわゆる教えを垂れる、のが正しい、そんな『物語』がものの見事に崩れ去りました。一方的に医療者の持つ物語を押しつけても、何も変化しない。
 自分語りの会に、医療者自身も同じ立場で加わっていったら、ご家族から教わる事が多いこと。そして医療者達がなんと無力であった事か、そして、むしろご家族の方から救われる体験が多かった。ずいぶん場を支配していた物語は崩れ去り、新しい物語が毎回書き換えられてゆきました。1年こうした会を行って、最終回。継続を望むメンバーは多かった。
 とても楽しかった。元気になった。そんな感想が多く、僕たちも元気をもらいました。私達は助け合える。そして、一緒に幸せになれる、いやなれるかもしれない、、なんとかやってゆけそうだ、、そんな感じに『物語』は変化して行ったのです。この体験は僕にとっても強烈でした。
 ゆかさんに乗せられて、ここで場違いな僕がこんな話しを語る様になったのも、このときの体験が僕の物語を書き換えてしまったからなんですよ。
新しい物語
物語の外
桜木町クリニック/桜木町、日ノ出町、みなとみらい、心療内科、精神科